
入生田
小田原市民しか読めない地名として時々話題になりますが
読みは「いりうだ」「いりゅうだ」
早川沿いに箱根町湯本と接する小さな集落です。
生田(ウダ)とは湿地の意味。
このあたりは早川の古い流路のため湿地が広がっており、
その中にあった集落だから入生田。
地名の由来はそんなところ。

江戸時代初期、入生田村から後河原(うしろかわら)村が分かれて成立しました。
後河原村の場所は現在の地球博物館から温泉地学研究所あたり。
その頃の早川は現在より北側、今の国道1号線付近を流れていたので、入生田村と後河原村は早川により隔たれていました。
(画像は私がやっとのことで完成させた想像図です)
風土記には戸数三とあり、とても少人数の村。
そんな少ないのになぜわざわざ分村したのか不思議です。
なにか事情があったのでしょうか。
天和年間(1681〜83)に洪水があり、
川の流れが南へ移動し、さらに川幅が広がり後河原村の人々の土地は流失、
村人たちは入生田村に移住します。
村ができてわずか100年未満で流されてしまったんですね。

現在の早川の流れ

入生田の鎮守
旧東海道沿いにある山神神社(さんしんじんじゃ)
木挽き、杣職人が山の神を祀ったとされてます。
拝殿の隣に小ぶりな鳥居と石祠があります。
この石祠は流失した後河原村の山神社から遷されたものです。


後河原村成立の頃に作られたのか、時代の流れを感じる古い石祠。
確たる資料はなく言い伝え的かもしれませんが、
後河原村の鎮守があった場所は牛裂き河原と呼ばれていた、という話があります。
牛裂きというと、あの恐ろしい牛裂き刑のことなのか?
それとも単に牛を解体するところだったのか。
なぜそんな場所に後河原村の鎮守が?
何にせよ、嫌な想像をしてしまうワードです。


天狗の団扇デザインの燭台
社殿にも天狗の彫刻があります。
山の神繋がりでしょうが詳細は不明。
けっこう古い。
後河原村が入生田村に戻ってきた頃です。

地球博物館の資料によると
ここの境内は小さいながら自然豊かな環境が残されており
特に珍しいダニが多く生息してるそうです。
マダニなど危険なヤツはいなそうなので大丈夫。
紹太寺側からだと楽に入れるし寺の駐車場も利用できるので便利です。

私は板橋で育っており、学区が同じ入生田には仲良しの友達がいて、こどもの頃は時々遊びに来ていました。
ですが後河原村のことは全く聞いたことはなく
最近山神神社を調べるにあたって知った次第。
近隣に謎に満ちた小さな村があったなんて
(勝手に謎に満ちてると思ってる)
ちょっとロマンを感じてしまう発見でした。