
城ヶ島にはかつて
というか昨年まで、島の西端に楫の三郎山という標高14メートルほどの小山があり、山頂に楫の三郎神社という小祠が祀られていました。

黄色○が楫の三郎山

楫の三郎神社の鳥居
出典 http://blog.livedoor.jp/tcmt_shinichiro/archives/4480217.html
楫の三郎とは三崎にある海南神社の祭神、藤原資盈(すけみつ)がこの地に漂着した時、船の舵をとっていた郎党の三郎のこと。
藤原資盈はその労をねぎらい目の前の小島に三郎を祀ったとか。(三郎は漂着後に○んじゃったのかな)
なお、島の東端にある洲乃御前神社も資盈の郎党の一人を祀っています。(この人も○んじゃったのかな)
藤原資盈は貞観6年(864)大納言伴善男に謀反の罪をでっち上げられて九州から船で逃亡、漂着したのがここ三崎でした。

資盈は三崎で暮らしてわずか2年で没するのですが、その間いろいろ活躍して地域の人々に神と祀られました。
でも歴史資料に見当たらない人なので実在したかは微妙です。当然、郎党の三郎たちもそう。
あくまでも伝説と考えるのがよろしいでしょう。
楫の三郎山ですが、関東大震災以前は城ヶ島とは海で隔られた小島でした。
人がほとんど近づかなかったそうですが、海があるので当たり前です。

新編相模國風土記稿には
楫の三郎山にあるのは碑だけで神社はなかったと書かれています。(洲乃御前神社も同じく)
前置きが長くなりました。
冒頭で「かつて」と書いた通り、楫の三郎山は土地が売却され、開発のために昨年削られてしまい影も形もなくなってしまいました。
2015年の楫の三郎山

現在の同じ場所
見事に何にもありません
このことに対しネットで
土地を買った外国人により神社ごと山が壊され、鳥居や祠は海に投げ捨てられた!
という噂が散見されますが、それはデマです。
みうら市議会だより第160号テキスト版(第3回定例会/令和6年(2024年)11月1日発行)/三浦市
三浦市議会の記録によると、事業者から三浦市に神社を取り壊す際の取り扱いについて相談があり、それに対して市は文化財ではないので近隣の神社に相談するよう答えています。
事業者は近隣の神社に合祀(神社の祭神を別の神社に移すこと)の手続きをしてから祠の処分をしたようです。
神社がなくなってからしばらくしてから、楫の三郎山の工事が開始されていますので、決して山と一緒に神社が壊されて海に捨てられてなどいません。あんな目立つ場所で不法投棄ができるはずもありませんし。
また、事業者が外国人(ネットでは中国人と断定)というのも確証はないそうです。
神社がなくなると妙に大騒ぎする方がいますが、どんな小さな神社でも、取り壊す時は神職による合祀などの儀式が行われます。(例外はある)
そもそも神道の神様は他の宗教に比べ自由度が高く、引越したり分霊したりは古来からしょっちゅうで、それが神道の特徴でもあります。
楫の三郎神社の祭神がどこへ引越したのかは不明ですが、城ヶ島の海南神社では 藤原資盈、源頼朝、梶三郎命が祀られています。字が違うだけで梶三郎は楫三郎と同じ神なのでそこへ返されたのかもしれません。

島の人たちが三崎の海南神社に参拝するのが難儀なので、元亀年中(1570〜1572)に島内に勧請(分霊)したものです。当初の社殿は暴風雨で流されたので明治時代に今の地に移動しました。この話だけでも、神道の神の自由度が窺えるかと。
楫の三郎山が削られて景観が変わってしまったことは非常に残念ですが、
文化財でも史跡でもない民間の土地なので行政はどうすることもできず。
でも変な噂が広まる前に三浦市から説明あってもよかったかも。有名な観光地なんだから。
楫の三郎は城ヶ島海南神社にいらっしゃるので、恋しい方はそちらに参拝しましょう。
⭐︎参考文献⭐︎
新編相模國風土記稿












































































































































